ツヨガリ オワリ
ムリカイ アラワ

 涙もろさは前頭葉の弱りだと以前聞いたが、歌詞で泣けるようになった私は幸せ者だ。

 自分の演奏のゴチャゴチャ感はハモリを適当に鳴らしすぎだったのだ、たぶん。なんとなくキレイカナァが逆効果になっている。単音の美しさに気付こう、だ。

 原曲重視カバーの制作は強い心理的負担になる。なるべくクオリティを上げなければという作曲者に対しての気遣いがついて回るからだ。だからいつまでも終われない、まだ終えてはならないと苦しみ続けることになる。

 原曲のフレーズをこねくり回したアレンジ曲、つまり所々似た雰囲気をもつ別の姿をした原曲となれば、それはもう自分の作曲の領域を交えて侵食できるから、多少のラフさがあってもずっと気軽に次の作品の制作に移れる。いい加減さの余地がある事は、それはそれは大切なことだと思う。
 

「おてんと」

テントを張った
春のお天道様のもと
テントウ虫
信号機は赤じゃった

「雨宿り」

ここは雨さんの通り道
居心地よかろうか
雨さんは長居
雨さんは長居
雨さんは長い
そろそろ晴れて
雨さん傘もささずに
おいとましますと出ていった
置き土産はてる坊主

「嘘守り」

本当ノ事ヲ言ウ時、
人ハ怒ルモノデアル
ソンナ記述ガ残レバ人ハ
嘘ヲ守ルタメニ怒ルコトヲ学ブ
疑ワレタナラ、恨ンデイルゾト
何度モ何度モ
後カラ後カラ怒ッテミセル
嘘ヲ守ルタメナラ
疑ウ側サエ真似シテミセテ
ホラ、コンナニ良イ事ヲシテイル
だから嘘などつくはずがない
ト主張シ続ケルノデアル
本当ハ、
嘘ヲツキタクナカッタカラ

覆ヒヲカブセ続ケルタメニ
学ビ続ケタ良イ行動ハ
真実ヲ明カシタアトモ
続クノデアル
イツマデモ、続クノデアル

 いつの間にかChromeOSのユーザー補助にグレースケールが追加されていた。とてもありがたい。

 サカナクション/ミュージックの「ララララ」の部分について。ラはA、ドイツ読みでアー、和名ではイ。ドキュメントという曲にある「愛の歌」がここにさりげなく詰まっているように思える。また、「ラ」は「う」にも見え、うううと山口氏がうつで呻く様子にも思える。

これから父と母は
帰り道を行くのだ。
二人きりで食事をし、
親となった子に連れられて
外の世界と出会い、
痛みに耐えながら
生まれた子の
泣き顔を待ち侘びるのだ。

イチマイ ヒトマイ
 ニマイ オニマイ
サンマイ  ミマイ
ヨンマイ  シマイ
 ゴマイ オシマイ
ロクマイ マイマイ

 これを伝えるのは非常に心苦しくもあるのだけれど、たくあんヨーグルトがおいしい。

 死者が存在した記憶が永く続く「朽ち無し」だとしても、体が朽ち果てる事が無くなるのはやはり体が朽ち果てた後という、なんともクチナシは奥深い。

「口+シ」の部分、お墓の絵文字だ。シは何だろう? プラスがカタカナのナの役割するってすごー。

▷にほんご
怪文/回文
口+死人にシナチク
クチナシニンニシナチク

にほんご
死人に口無し
死人に朽ち無し

 日本のコマーシャルって結構、過去に何かやらかした人ドキッとするやろなって思うけど内容は全然関係ないCMというのを結構見かける。お天道さんが見ているを実践してんなって勝手に思ってる。

 人が悩んでいる文章は同じ所をぐるぐる回ったり、ダレたり尻切れトンボだったりするけれど、それは体裁に限っての話だ。題材そのものに価値がある。その話をしてくれただけで良かった、ありがたかった、という文や言葉や名前に最近よく出会うのだ。

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