罪は頭では分からない。平気だと知らぬふりさえできる。罪は体が知っている。危険な虫とて、やたらに屠れば夜に夢みてうなされるのだ。弔いや墓参りがあるのは、怒れる死者を鎮めるためではなく、自身で気付かぬ申し訳なさ、命に備わる、持て余す程の良心がそれを生み出したからなのだ。私はそう思っている。たとえ子供の遊びの中でも、じき、それは正常に機能する。
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