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「牛をごらんなさい」と若い母は云った、「草しか喰べないのに、牛はあのとおり立派な軀をしているでしょう、卵だの肉だの生魚などを喰べるのは短命のもとです」【彦左衛門外記】

「二時間でよ、おめえ」と一人が云った、「それも初めてだっていうだに、三度も幟がおっ立ったなんて考げえられっか」「買収しただな」と他の一人が云った、「女に金轡を嚙ましただ」【青べか物語 砂と柘榴】

人間は自然のために翻弄されてきた。恵まれ与えられると同時に、奪われたりふみにじられたりする。自然そのものは云いようもなく荘厳で美しいが、その作用はしばしば恐怖と死をともなう。人間はその作用とたたかい、それを抑制したり、逆用したりすることをくふうしてきた。その幾十か幾百かはものにしたが、どの一つも完全にものにはできなかった。いま降っているこの雨のように、用心していても、しっぺ返しにあうようなことが繰返されるのだ。「自然の容赦のない作用に比べれば」と主水正は声に出して云った、「貧富や権勢や愛憎などという、人間どうしのじたばた騒ぎは、お笑いぐさのようなものかもしれない」

「わたくしはただひとすじに戦うだけでございます、戦がお味方の勝になればよいので、ひとりでも多く敵を討って取るほかには余念はございません、さむらい大将を討ったからとて功名とも思いませぬし、雑兵だからとて詰らぬとも存じません、名乗って出なかった仔細と申せばこの所存ひとつでございます」【青竹】余吾源七郎

「お尻と云うのがなぜ失礼ですか」と女史は冷やかに云った、「わたくしにもお尻はあります、けれどもこれは口にして失礼なようなものではありません、わたくし自分の体に失礼なようなものは一つも持っておりません」「それは、理屈はそうでしょうが」「なにが理屈ですか」と女史は云った、「四肢五体は自然に備わったもので、みなそれぞれ欠くことのできない職分を持っています、頭、手足、腰、乳房、お尻、なにが失礼ですか」【しゅるしゅる】

じじじと油皿の鳴る音がして、ついに行燈の火がはたと消えた。部屋は一瞬まっ暗になったが、やがてほのかに薄明のように光がうきだしてきた。 窓の障子が、いっぱいの雪明りだった。【山女魚】

「なに云うの幸さん、今になってそんなことを」 「いや云わせて呉んな、おれはおまえが欲しかった、おまえを女房に欲しかったんだ、おまえなしには、生きている張合もないほど、おれはおせんちゃんが欲しかったんだ」 【柳橋物語】幸太郎

子供を産んだことのないお乳は豊かに張りきって大きいし、腹部は臨月の女のように大きく、たぷたぷにくびれて垂れるから、いつもお臍の下のところを晒木綿で縛ってある。お弟子たちはこれを「お師匠さんのおなかの腰揚げ」といっているが、これはおしずの口から出たものであった。【妹の縁談】

およそ此の道を学ぶ者にとっては、天地の間、有ゆるものが師である、一木一草と雖ども無用に存在するものではない、先人は水面に映る月影を見て道を悟ったとも云う、この謙虚な、撓まざる追求の心が無くては、百年の修業も終りを完うすることはできない。虎之助は毎もその言葉を忘れなかった【内蔵允留守】

賞に推されたことはまことに光栄でありますが、私はつねづね各社の編集部や読者や批評家諸氏から、過分な「賞」を頂いていることでもあり、そのほかにいかなる賞もないと考えておりますので、ご好意にそむくようですがつつしんで辞退いたします。(「毎日出版文化賞辞退寸言」 1959年)#fedibird

その声はやわらかにやさしく、蜜をたっぷり掛けたプディングのように甘ったるいひびきをもっているが、言葉と言葉のあいまに、ぴしり、ぴしりと凄いような音の伴奏が聞える。近所のかみさんたちの話では、お尻を裸にして、物差で打つのだという。蜜をたっぷり掛けたプディングのような甘やかな声と、骨まで凍るような折檻の音とは、そのまますさまじい和音となって、聞く者の耳を突き刺すのであった。【季節のない街】

「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は善と悪を同時に持っているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」【ながい坂】三浦主水正

大切なのはなにが万年さきまで残るかではなく、そのときばったりとみえるいまのことだ、地面に砂で描いた絵は半刻とは保たないだろう、しかしそれを描く絵師にとっては、生活のかてであるだけではなく、描いた砂絵は彼の頭から消えることはないだろう、いちばん大切なのは、そのときばったりとみえることのなかで、人間がどれほど心をうちこみ、本気でなにかをしようとしたかしないか、ということじゃあないか、そうは思えないか 【ながい坂】三浦主水正

ひとから物を借りればいつかは礼を付け返さなければならない。返せない借物なら、それに代るだけの事をするのが人間の義理である。世の中に生きて、眼に見えない多くの人たちの恩恵を受けるからには、自分も世の中に対してなにかを返さなければならないだろう、自分はそれをしたであろうか。【新潮記】

もう一つは、現実の上に立たない生活がどんなに空虚なものかということである。じっさい、人が晩年になってから、自分の生き方は間違っていた、自分にはもっとほかの生き方があったのだ、そう思うくらい悲惨なことはありませんからね、 だって是れだけはどうしたってやり直すことができないんですから。【新潮記】

「これではまるで大家のお嬢さまのようでございますわ」 「越梅といえば京大坂から江戸まで知られた大家ですよ」もよ女は大きな胸を反らせながら云った、「——養女といえば娘なんですから、大家のお嬢さまに違いないでしょう、でもあたしのように肥ることはありません」【山茶花帖】もよ女

「一日々々がぎりぎりいっぱい、食うことだけに追われていると、せめて酔いでもしなければ生きてはいられないものです」【赤ひげ診療譚 むじな長屋】 佐八

およそ此の道を学ぶ者にとっては、天地の間、有ゆるものが師である、一木一草と雖ども無用に存在するものではない、先人は水面に映る月影を見て道を悟ったとも云う、この謙虚な、撓まざる追求の心が無くては、百年の修業も終りを完うすることはできない。虎之助は毎もその言葉を忘れなかった【内蔵允留守】

女房が稼げば男はだめになるなんて、それは男が稼いで女を養ってやる、っていう思いあがった考えよ、亭主が仕事にあぶれたとき、女房が稼いでどうして悪いの、男だって女だっておんなじ人間じゃないの、この世で男だけがえらいわけじゃないのよ 【さぶ】おのぶ

「二時間でよ、おめえ」と一人が云った、「それも初めてだっていうだに、三度も幟がおっ立ったなんて考げえられっか」「買収しただな」と他の一人が云った、「女に金轡を嚙ましただ」【青べか物語 砂と柘榴】

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