1日に4回ほど、山本周五郎(1903〜1967)作品から独断的恣意的引用をお届けします。text 鋭意増量中。やっと100 text を超えました。長文多いです。ご容赦願います。ほぼほぼ青空文庫など、無料で読める作品ばかりです。TLの賑やかしに、おじゃまでなければ、フォローお願いします。#日本文学HP…https://yamabot.jimdofree.com/
増六はちょっと低頭し、額のところで十字の印を切った。「デウスはインビニイトとて始めも終りもなく、スピリツアルススタンシャとて、色形なき実躰、ヲムニボテンとて万事にかない、サゼエンチイシモとて上なき知恵の源、ジェスイモとて大憲法の本源、ミゼリカウルヂイシモとて大慈悲の源、そのほか諸善万徳の源なのです」【正雪記】増六#fedibird #日本文学
「他人の仕事は容赦なくけなしつける、たぶん本当に絵のよしあしはわかるんだろう、けれども彼がしんじつ絵師であるなら、他人の絵などに関心はもたず、自分の絵を描くことにだけ全身をうちこむ筈だ、人は人、自分は自分なんだ、彼は実際に絵を描くよりも、あたまの中で絵をもてあそんでいるだけじゃないか、そんなことなら誰にだってできることだよ」【虚空遍歴】中藤冲也#fedibird #日本文学
きょうあの騒ぎのなかで、床の上に投げだされている梅の花枝を見たとき、自分はながいこと空虚だった心の一部がみずみずしい感情で満たされるのを覚えた。日々あの烈しい作業を続けながらそこに花を飾るのはあのかたたちの心に花の位置があるからだ。……どの仕事が正しく戦うものであるかについて、理論をもてあそぶ必要はもうない、ただ考えるだけでも身ぶるいのするあの恐怖もなく、久しく忘れていた花の位置をみつけただけで、自分の戦場がどこにあるかを知るのにじゅうぶんだ。【日本婦道記 花の位置】#fedibird #日本文学
「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は善と悪を同時に持っているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」【ながい坂】三浦主水正#fedibird #日本文学
人間はいかに多くの経験をし、その経験を積みあげても、それで自分を肯定したり、満足することはできない。──現在ある状態のなかで、自分の望ましい生きかたをし、そのなかに意義をみいだしてゆく、というほかに生きかたはない。【山彦乙女】#fedibird #日本文学
巳の年と亥の年の騒動が根になって、御新政という暴政を招いた、と云う者がいるけれども、そういう因果関係は観念的な付会であって、新らしく起こる事は、新らしい情勢から生れるものだ。【ながい坂】#fedibird #日本文学
大切なのはなにが万年さきまで残るかではなく、そのときばったりとみえるいまのことだ、地面に砂で描いた絵は半刻とは保たないだろう、しかしそれを描く絵師にとっては、生活のかてであるだけではなく、描いた砂絵は彼の頭から消えることはないだろう、いちばん大切なのは、そのときばったりとみえることのなかで、人間がどれほど心をうちこみ、本気でなにかをしようとしたかしないか、ということじゃあないか、そうは思えないか 【ながい坂】三浦主水正#fedibird #日本文学
「……相手を斬ればおまえも切腹をしなければならぬ、勝っても負けても、今日おまえは生きてはいられなかったのだ、繰り返して云うが、武士には御奉公のほかに捨てるべき命はないものだぞ」 【ならぬ堪忍】 上森又十郎#fedibird #日本文学
「伊曾保物語とは聞かぬな」「異国の賢者のことを書きましたもので、鳥獣虫魚のことに托して世態人情の善悪表裏をまことに巧みに記してございます」伊曾保物語とはいうまでもなく「イソップ物語」である。ずいぶんはやく、すでに文禄年間に翻訳されていたし、ついで慶長本、元和には活字本まで出ていた。【鏡】#fedibird #日本文学
罪は人間と人間とのあいだにあるもので、法と人間とのあいだにあるものじゃない、——が、そんなことはどっちでもいい、人間ていうやつはみんな愚かなものだし、生きるということはそれだけで悲惨なものさ、ちえっ【栄花物語】信二郎#fedibird #日本文学
「罪は真の能力がないのに権威の座についたことと、知らなければならないことを知らないところにある、かれらは」と去定はそこで口をへの字なりにひきむすんだ、「かれらはもっとも貧困であり、もっとも愚かな者より愚かで無知なのだ、かれらこそ憐むべき人間どもなのだ」【赤ひげ診療譚 むじな長屋】 新出去定#fedibird #日本文学
「妻も子もなく、親しい知人もないのだろう、木賃宿からはこびこまれたのだが、誰もみまいに来た者はないし、彼も黙ってなにも語らない、なにを訊いても答えないし、今日までいちども口をきいたことがないのだ」去定は溜息をついた、「この病気はひじょうな苦痛を伴うものだが、苦しいということさえ口にしなかった、息をひきとるまでおそらくなにも云わぬだろう、――男はこんなふうに死にたいものだ」【赤ひげ診療譚 駈込み訴え】新出去定#fedibird #日本文学
野の鳥は違う、野山の鳥に餌を呉れる者はない。かれらは他の強敵とたたかいながら、自分で餌を捜し、自分で拾わなくてはならない。そして餌は常にどこにでもあるのではないし、少ない餌を奪いあう場合が多く、まったく餌のないときでも、助けて呉れる者はいないのだ。【ながい坂】#fedibird #日本文学
芸というものは、八方円満、平穏無事、なみかぜ立たずという環境で、育つものではない、あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ、【虚空遍歴】#fedibird #日本文学
「一日々々がぎりぎりいっぱい、食うことだけに追われていると、せめて酔いでもしなければ生きてはいられないものです」【赤ひげ診療譚 むじな長屋】 佐八#fedibird #日本文学
「にっぽんかいびゃく以来、あんなお人好しのおたんこなすは見たこともねえ」と男たちは云った、「おれっちがかいびゃくこのかた生きて来たわけじゃねえにしろさ」【季節のない街】#fedibird #日本文学
「人間が自分から好んですることには罪はないんだ、自分がそうしたくてすることは、その人間にとってはすべて善なんだ。反対に望みもしないことを望むようにみせたり、自分で信じないことを信じているようによそおうことこそ、罪であり悪というんだ」【栄花物語】信二郎#fedibird #日本文学
「女房は一生のものだ」と辰造は続けた、「人間の一生はなみかぜが多い、いつなに何が起こるかわからない、なにか事が起こったとき、惚れて貰った女房だと、――男は苦しいおもいをしなければならない、どんなふうにということは云えないが、男は苦しいおもいをするものだ」辰造はちょっと黙って、それからしんみな口ぶりで云った、「女に惚れたら惚れるだけにしろ、いいか、女房はべつに貰うんだ、わかったか」 【水たたき】辰造#fedibird #日本文学
ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、――ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ 【ちくしょう谷】隼人#fedibird #日本文学
保之助は酒を飲もうとした。しかしもう徳利は二つとも空であった。彼は唇を嚙んで頭を振った。額にどす黒い皺がより、こめかみに太く血管があらわれた。肉躰的な苦痛が、いまは一種の快感に変るようであった。化膿した歯齦を強く押すときの、むず痒い痛みに似た快感であった。【栄花物語】#fedibird #日本文学
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