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「こう云っちゃあ済みませんが、お父さんの死んだのはやくざ渡世の自業自得、御定法の裏をぬけて、世間の道を踏外した者同志の斬った張ったは、堅気の者に関わりのない事です。人を殺しても──悪かったと一度悔むことのないような者は人間じゃあありません、人間でない者を相手に敵だ仇だと云ったところで始まりませんからねえ」【無頼は討たず】半太郎

おせいは来なかった。押しかけては来なかったが、職人が飲みにいったら、酔っぱらってさんざんに毒づいたそうである。あんなやつは男ではないから始まって、江戸の人間ぜんたいを泥まみれにし、粉ごなにし、「土足で踏みにじるようなあんばいだった」ということであった。【赤ひげ診療譚 三度目の正直】

「おんなしこったに、たとえおめえらがいって来るにしろ、めんどくせえこたあやっぱりめんどくせえでねえ、おら他人がやるにしろ、めんどくせえこたあでえ嫌えだに」【似而非物語】杢助

人間は独りで生きているのではない、多くの者が寄集まって、互いに支え合い援け合っているのだ、——おまえは着物を着、帯を締めているが、それは自分で織ったのではなかろう、畳の上に坐っているがその畳も自分で作ったものではない、家は大工が建て、壁は左官が塗った、百姓の作った米、漁師の獲った魚を食べている、紙も筆も箸も茶碗もすべて他人の労力に依るものだ、おまえにとっては見も知らぬこれらの他人が、このようにおまえの生活を支えている、わかるか【山茶花帖】桑島儀兵衛

法師川は雪解けの水でふくらみ、水際にはびっしりと、みずみずしく芹が伸びていた。朝の陽を浴びた河原は暖かく、猫柳はもう葉になっていた。つぢはあやされるような気分になり、少女のころを思いだしながら、吉松を河原に坐らせて、芹を摘み、蓬を摘んだ。【法師川八景】

巳の年と亥の年の騒動が根になって、御新政という暴政を招いた、と云う者がいるけれども、そういう因果関係は観念的な付会であって、新らしく起こる事は、新らしい情勢から生れるものだ。【ながい坂】

怒りが爆発した。全身の血が燃えるように感じられた。あれほど念を押し、二度まで誓言して置きながら、今になって獺のように逃げるとは、 「市之丞、やらぬぞッ」 伊兵衛は空に向って叫んだ。【新女峡祝言】伊兵衛

「一日々々がぎりぎりいっぱい、食うことだけに追われていると、せめて酔いでもしなければ生きてはいられないものです」【赤ひげ診療譚 むじな長屋】 佐八

「ながい苦労に堪えてゆくには」と母はそこへ坐って云った。「ごくあたりまえな、楽な気持でやらなければ続きません。心さえたしかなら、かたちはしぜんのままがいいのです。男になった気持などといっても、女はどこまでも女ですから、娘は娘らしいかたちで明るくやってゆかなければいけません……肩肱を張った暮しはながくは続きませんよ」【髪かざり】

人間の本性にはいろいろの悪があるけれども、同時に悔恨や慈悲、反省や自制心もある。にもかかわらず、破壊と大量殺人が繰返されるのは、人間の意志が、なにか説明することのできない未知のちからに支配されている、と考えるほかはないのではないか。【おごそかな渇き】

「――人間には自然を征服するどころか、破壊することもできやしない、山を崩し、谷を埋め、海や川を改変し、死の灰で地を蔽おおっても、自然の一部に小さな、引っ掻き傷をつくるくらいがせきのやまだ」【おごそかな渇き】 松山隆二

松はぐらぐらと頭を垂れ、右手には湯呑を持ったまま、台板へ俯伏してしまった。「へえ、まっぴらだよ、なにょウぬかしゃアがる、けつでもくらえだ、……べらぼうめ、女がなんだ、嬶がなんだッてんで」【嘘アつかねえ】

名も求めず、立身栄達も求めず、ただひとりの戦士として黙々としておのれの信ずる道を生きる、多田新蔵はそういうもののふなのだ、わかるか【石ころ】

「どんなばあいでも、生きることは、死ぬことより楽ではない、まして、いまのおまえは死ぬほうが望ましいだろう、しかし、達弥、おれはおまえに生きていてもらわなければならぬ、単に生きているだけでなく、死ぬよりも困難な、苦しい勤めを受持ってもらいたいのだ」【樅ノ木は残った】原田甲斐

「......おかよ」と彼は空を見あげながら呟いた、「待っているんだぞ、は......八幡宮のお札が無くとも、りっぱに戦った、矢弾丸を避けるのは神護ではない、戦う心だ、死所を誤らぬ覚悟が矢弾丸に勝ったんだ、おまえがそれを教えて呉れた、待っているんだぞ、もうすぐ会える、帰ったら己は、おまえを……おまえを……」【おかよ】弥次郎

「人間が食う心配に追われだしたらおしめえだ、食うってことは毎日だし、生きてる限り食わなくちゃならねえ、そんなことに追われていて男が一生の仕事ができるもんか、おらあそんな心配をしたことあ、一遍もありゃあしねえ」【正雪記】又兵衛

芸というものは、八方円満、平穏無事、なみかぜ立たずという環境で、育つものではない、あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ、【虚空遍歴】

およそ此の道を学ぶ者にとっては、天地の間、有ゆるものが師である、一木一草と雖ども無用に存在するものではない、先人は水面に映る月影を見て道を悟ったとも云う、この謙虚な、撓まざる追求の心が無くては、百年の修業も終りを完うすることはできない。虎之助は毎もその言葉を忘れなかった【内蔵允留守】

人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。親と子、良人と妻、どんなに親しい友達にでも、――人間はつねに独りだ。

人間は生れてきてなにごとかをし、そして死んでゆく、だがその人間のしたこと、しようと心がけたことは残る、いま眼に見えることだけで善悪の判断をしてはいけない、辛抱だ、辛抱することだ、人間のしなければならないことは辛抱だけだ、【ながい坂】三浦主水正

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