躄車に乗って残飯をねだるのも、他人の家のごみ箱をあさるのも、その当人がしているのではなく、生きているいのちに支配されているだけではないか。生命という無形のものが人間を支配して、あのようにみじめなことをしても死に至るまで生きようとさせるのではないだろうか、と冲也は思った。 「そこにはもうかれら自身はないのだ」と冲也は独りで呟いた、「——躄車で残飯をねだっているのはいのちだけで、老人そのものはそこにはいない、人間としての老人はもうその肉躰から去って、虚空のどこかをさまよっているんだ」【虚空遍歴】中藤冲也#fedibird #日本文学