イマ ワタシワ カタカナデ テンジフーノ カキカタヲ シテイマス。 キカイデモ ヨミヤスイ ハズデス。 テンカナ トデモ ヨビマショウカ。
カタカナデ カクト ナンダカ ロボミタイデ ナツカシイ デスネ。 デモ デンポーヤ センソーノヨーデ スコシ コワクモ アリマス。
ツヨガリ オワリムリカイ アラワ
涙もろさは前頭葉の弱りだと以前聞いたが、歌詞で泣けるようになった私は幸せ者だ。
自分の演奏のゴチャゴチャ感はハモリを適当に鳴らしすぎだったのだ、たぶん。なんとなくキレイカナァが逆効果になっている。単音の美しさに気付こう、だ。
原曲重視カバーの制作は強い心理的負担になる。なるべくクオリティを上げなければという作曲者に対しての気遣いがついて回るからだ。だからいつまでも終われない、まだ終えてはならないと苦しみ続けることになる。
原曲のフレーズをこねくり回したアレンジ曲、つまり所々似た雰囲気をもつ別の姿をした原曲となれば、それはもう自分の作曲の領域を交えて侵食できるから、多少のラフさがあってもずっと気軽に次の作品の制作に移れる。いい加減さの余地がある事は、それはそれは大切なことだと思う。
「おてんと」
テントを張った春のお天道様のもとテントウ虫信号機は赤じゃった
「雨宿り」
ここは雨さんの通り道居心地よかろうか雨さんは長居雨さんは長居雨さんは長いそろそろ晴れて雨さん傘もささずにおいとましますと出ていった置き土産はてる坊主
「帰り道」
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