二人はそこでたびたび逢った。そこの、向うの、こっちから五本めの木蔭がそれだ。おていが先に来ていることもあり、用があって、おくれて来て、すぐに帰ったこともある。その向うの 五本めの木蔭だ。おれが仕事の都合でおくれて、駆けつけて来ると、あいつはその木に凭れていて、いってみると泣いていたことがあった。どうしたんだ、と云ったら、とびついて来て、「ああよかった」と云った。ああよかった、もうあんたは来てくれないのかと思ってたのよ、「うれしい」と云って、おれにしがみついた。しがみついて泣いた。いまでもはっきり思いだせる、「うれしい」と云って、あいつはおれにしがみついて泣いた。 【並木河岸】鐡次#fedibird #日本文学
私が書く場合に一番考えることは、政治にもかまって貰えない、道徳、法律にもかまって貰えない最も数の多い人達が、自分達の力で生きて行かなければならぬ、幸福を見出さなければならない、ということなのです。一番の頼りになるのは、互いの、お互い同士のまごころ、愛情、そういうものでささえ合って行く…………… これが最低ギリギリの、 庶民全体のもっている財産だと私は思います。(「お便り有難う」 1960年)#fedibird #日本文学
人間は自然のために翻弄されてきた。恵まれ与えられると同時に、奪われたりふみにじられたりする。自然そのものは云いようもなく荘厳で美しいが、その作用はしばしば恐怖と死をともなう。人間はその作用とたたかい、それを抑制したり、逆用したりすることをくふうしてきた。その幾十か幾百かはものにしたが、どの一つも完全にものにはできなかった。いま降っているこの雨のように、用心していても、しっぺ返しにあうようなことが繰返されるのだ。「自然の容赦のない作用に比べれば」と主水正は声に出して云った、「貧富や権勢や愛憎などという、人間どうしのじたばた騒ぎは、お笑いぐさのようなものかもしれない」#fedibird #日本文学
1日に4回ほど、山本周五郎(1903〜1967)作品から独断的恣意的引用をお届けします。text
鋭意増量中。やっと100 text を超えました。長文多いです。ご容赦願います。
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