1日に4回ほど、山本周五郎(1903〜1967)作品から独断的恣意的引用をお届けします。text 鋭意増量中。やっと100 text を超えました。長文多いです。ご容赦願います。ほぼほぼ青空文庫など、無料で読める作品ばかりです。TLの賑やかしに、おじゃまでなければ、フォローお願いします。#日本文学HP…https://yamabot.jimdofree.com/
大切なのはなにが万年さきまで残るかではなく、そのときばったりとみえるいまのことだ、地面に砂で描いた絵は半刻とは保たないだろう、しかしそれを描く絵師にとっては、生活のかてであるだけではなく、描いた砂絵は彼の頭から消えることはないだろう、いちばん大切なのは、そのときばったりとみえることのなかで、人間がどれほど心をうちこみ、本気でなにかをしようとしたかしないか、ということじゃあないか、そうは思えないか 【ながい坂】三浦主水正#fedibird #日本文学
「早まった、お町どの、どうしてこんな」 「いいえ、いいえ、町はもう、欣弥の許へ嫁ぐとき死んでいたのでございます、ただ、今日まで、この仔細をあなたさまにお伝え申したいため、ただそのために屍を保っていたのです。 ……夏雄さま、お父上の敵は申上げたお二人、いま寺内に、家中の者十三名と待伏せている筈です、どうぞ……おぬかりなく」 【秋風不帰】お町#fedibird #日本文学
傾いた陽が斜めからさして、透明な碧色にぼかされた山なみの上に、蔵王の雪が鴇色に輝いていた。朝見たときの青ずんだ銀白の峰は、冷たくきびしい威厳を示すようであったが、いまはもの静かに、やさしく、見る者の心を温めるように思えた。【樅の木は残った】#fedibird #日本文学
彼は山を眺め、空を見あげ、それから利根川の流れを見た。空は薄く絹を張ったような青で、ところどころに白く、ゆっくりと断雲が動いていた。川の水は澄みとおって、汀に近いところは底の小石が透いて見える。——対岸の河原も枯れた芦の茂みがひろがり、土堤の上を一人の農婦が、馬に荷車を曳かせて、川上のほうへ歩いていた。【天地静大】#fedibird #日本文学
罵り憎みあいながら一生ともにくらす夫婦もあり、まるっきり反対な性分だったのに、やがてだらしのないほど仲がよくなり、むつまじく折り合ってゆく夫婦もある。その一つ一つにはまた幾百千とも知れない変化があるだろうし、それらは人間のちから以上の、なにかの力に支配されているのではないか。【醜聞】#fedibird #日本文学
「人を殺しても悪かったと一度も思わぬような奴は、やくざの気風かも知れぬが、人間じゃあない犬畜生だ、犬畜生を親の敵と狙う私じゃあありません──だが、悪い事をしたと後悔して、人らしくなればお父さんの仇、今こそ恨みを晴らさなければなりません、甲府の小父さん──放して下さい」【無頼は討たず】半太郎#fedibird #日本文学
「これではまるで大家のお嬢さまのようでございますわ」 「越梅といえば京大坂から江戸まで知られた大家ですよ」もよ女は大きな胸を反らせながら云った、「——養女といえば娘なんですから、大家のお嬢さまに違いないでしょう、でもあたしのように肥ることはありません」【山茶花帖】もよ女#fedibird #日本文学
「ながい苦労に堪えてゆくには」と母はそこへ坐って云った。「ごくあたりまえな、楽な気持でやらなければ続きません。心さえたしかなら、かたちはしぜんのままがいいのです。男になった気持などといっても、女はどこまでも女ですから、娘は娘らしいかたちで明るくやってゆかなければいけません……肩肱を張った暮しはながくは続きませんよ」【髪かざり】#fedibird #日本文学
「こう云っちゃあ済みませんが、お父さんの死んだのはやくざ渡世の自業自得、御定法の裏をぬけて、世間の道を踏外した者同志の斬った張ったは、堅気の者に関わりのない事です。人を殺しても──悪かったと一度悔むことのないような者は人間じゃあありません、人間でない者を相手に敵だ仇だと云ったところで始まりませんからねえ」【無頼は討たず】半太郎#fedibird #日本文学
おせいは来なかった。押しかけては来なかったが、職人が飲みにいったら、酔っぱらってさんざんに毒づいたそうである。あんなやつは男ではないから始まって、江戸の人間ぜんたいを泥まみれにし、粉ごなにし、「土足で踏みにじるようなあんばいだった」ということであった。【赤ひげ診療譚 三度目の正直】#fedibird #日本文学
「おんなしこったに、たとえおめえらがいって来るにしろ、めんどくせえこたあやっぱりめんどくせえでねえ、おら他人がやるにしろ、めんどくせえこたあでえ嫌えだに」【似而非物語】杢助#fedibird #日本文学
人間は独りで生きているのではない、多くの者が寄集まって、互いに支え合い援け合っているのだ、——おまえは着物を着、帯を締めているが、それは自分で織ったのではなかろう、畳の上に坐っているがその畳も自分で作ったものではない、家は大工が建て、壁は左官が塗った、百姓の作った米、漁師の獲った魚を食べている、紙も筆も箸も茶碗もすべて他人の労力に依るものだ、おまえにとっては見も知らぬこれらの他人が、このようにおまえの生活を支えている、わかるか【山茶花帖】桑島儀兵衛#fedibird #日本文学
法師川は雪解けの水でふくらみ、水際にはびっしりと、みずみずしく芹が伸びていた。朝の陽を浴びた河原は暖かく、猫柳はもう葉になっていた。つぢはあやされるような気分になり、少女のころを思いだしながら、吉松を河原に坐らせて、芹を摘み、蓬を摘んだ。【法師川八景】#fedibird #日本文学
巳の年と亥の年の騒動が根になって、御新政という暴政を招いた、と云う者がいるけれども、そういう因果関係は観念的な付会であって、新らしく起こる事は、新らしい情勢から生れるものだ。【ながい坂】#fedibird #日本文学
怒りが爆発した。全身の血が燃えるように感じられた。あれほど念を押し、二度まで誓言して置きながら、今になって獺のように逃げるとは、 「市之丞、やらぬぞッ」 伊兵衛は空に向って叫んだ。【新女峡祝言】伊兵衛#fedibird #日本文学
「一日々々がぎりぎりいっぱい、食うことだけに追われていると、せめて酔いでもしなければ生きてはいられないものです」【赤ひげ診療譚 むじな長屋】 佐八#fedibird #日本文学
人間の本性にはいろいろの悪があるけれども、同時に悔恨や慈悲、反省や自制心もある。にもかかわらず、破壊と大量殺人が繰返されるのは、人間の意志が、なにか説明することのできない未知のちからに支配されている、と考えるほかはないのではないか。【おごそかな渇き】#fedibird #日本文学
「――人間には自然を征服するどころか、破壊することもできやしない、山を崩し、谷を埋め、海や川を改変し、死の灰で地を蔽おおっても、自然の一部に小さな、引っ掻き傷をつくるくらいがせきのやまだ」【おごそかな渇き】 松山隆二#fedibird #日本文学
松はぐらぐらと頭を垂れ、右手には湯呑を持ったまま、台板へ俯伏してしまった。「へえ、まっぴらだよ、なにょウぬかしゃアがる、けつでもくらえだ、……べらぼうめ、女がなんだ、嬶がなんだッてんで」【嘘アつかねえ】#fedibird #日本文学
Fedibirdの最新機能を体験できる https://fedibird.com の姉妹サーバです