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「......おかよ」と彼は空を見あげながら呟いた、「待っているんだぞ、は......八幡宮のお札が無くとも、りっぱに戦った、矢弾丸を避けるのは神護ではない、戦う心だ、死所を誤らぬ覚悟が矢弾丸に勝ったんだ、おまえがそれを教えて呉れた、待っているんだぞ、もうすぐ会える、帰ったら己は、おまえを……おまえを……」【おかよ】弥次郎

「――死んでしまった人のことなんかどうでもいいではないの。それより生きている者のほうが大事よ」【竹柏記】千寿

政治と一般庶民とのつながりは、征服者と被征服者との関係から、離れることはできない。政治は必ず庶民を使役し、庶民から奪い、庶民に服従を強要する。いかなる時代、いかなる国、いかなる人物によっても、政治はつねにそういったものである。【山彦乙女】

「たとえ金石で組みあげた墓でも、時が経てばやがては崩れ朽ちてしまう」彼は口の中で、墓のぬしに呼びかけるように、呟いた、「――死んでしまった貴方がたには、法名が付こうと付くまいと、供養されようとされまいと、なんのかかわりもないだろう、そういうことはみな生きている者の慰めだ」【ちくしょう谷】隼人

「――災難と思って諦めるか」彼は口の中で呟いた。「――弱い人間の合い言葉だ」と彼はまた眉をしかめた、「それだから弱い人間はいつも弱いままで置かれるんだ」 【正雪記】与四郎

「こう云っちゃあ済みませんが、お父さんの死んだのはやくざ渡世の自業自得、御定法の裏をぬけて、世間の道を踏外した者同志の斬った張ったは、堅気の者に関わりのない事です。人を殺しても──悪かったと一度悔むことのないような者は人間じゃあありません、人間でない者を相手に敵だ仇だと云ったところで始まりませんからねえ」【無頼は討たず】半太郎

胸毛は熊のように濃かった。また脛の毛とくると信じられないほどであった。夏になると、そのみっしり生えた脛毛の中でいつも二三疋の蚊が悲鳴をあげていた。蚊たちは血を吸いにもぐり込むが、脛毛の藪があんまり密なので、それにひっかかって脱出することができなくなるのであった。六助はきげんのいいときには、毛をかきわけてかれらを逃がしてやるのを楽しみにした。【秋の駕籠】

「こう云っちゃあ済みませんが、お父さんの死んだのはやくざ渡世の自業自得、御定法の裏をぬけて、世間の道を踏外した者同志の斬った張ったは、堅気の者に関わりのない事です。人を殺しても──悪かったと一度悔むことのないような者は人間じゃあありません、人間でない者を相手に敵だ仇だと云ったところで始まりませんからねえ」【無頼は討たず】半太郎

もう一つは、現実の上に立たない生活がどんなに空虚なものかということである。じっさい、人が晩年になってから、自分の生き方は間違っていた、自分にはもっとほかの生き方があったのだ、そう思うくらい悲惨なことはありませんからね、 だって是れだけはどうしたってやり直すことができないんですから。【新潮記】

「思いはじめたのは十七の夏からだ、それから五年、おれはどんなに苦しい日を送ったか知れない、おまえはおれを好いては呉れない、それがわかるんだ、でも逢いにゆかずにはいられなかった。いつかは好きになって呉れるかも知れない、そう思いながら、恥を忍んでおまえの家へゆききした、だがおまえの気持はおれのほうへは向かなかった、そればかりじゃあない、とうとう……もう来て呉れるなと云われてしまったっけ」煙が巻いて来、彼は、こんこんと激しく咳きこんだ。それから両の拳へ顔を伏せながら、まるで苦しさに耐え兼ねて呻くような声で、続けた、「……そう云われたときの気持がどんなだったか、おせんちゃんおまえにはわかるまい、おれは苦しかった、息もつけないほど苦しかった、おせんちゃん、おれはほんとうに苦しかったぜ」 【柳橋物語】幸太郎

よくつきつめてみると、人間ってものはみんな、自分のゆく道を捜して、一生迷いあるく迷子なんじゃないだろうか【へちまの木】

よくつきつめてみると、人間ってものはみんな、自分のゆく道を捜して、一生迷いあるく迷子なんじゃないだろうか【へちまの木】

「おんなしこったに、たとえおめえらがいって来るにしろ、めんどくせえこたあやっぱりめんどくせえでねえ、おら他人がやるにしろ、めんどくせえこたあでえ嫌えだに」【似而非物語】杢助

「――災難と思って諦めるか」彼は口の中で呟いた。「――弱い人間の合い言葉だ」と彼はまた眉をしかめた、「それだから弱い人間はいつも弱いままで置かれるんだ」 【正雪記】与四郎

「女房は一生のものだ」と辰造は続けた、「人間の一生はなみかぜが多い、いつなに何が起こるかわからない、なにか事が起こったとき、惚れて貰った女房だと、――男は苦しいおもいをしなければならない、どんなふうにということは云えないが、男は苦しいおもいをするものだ」辰造はちょっと黙って、それからしんみな口ぶりで云った、「女に惚れたら惚れるだけにしろ、いいか、女房はべつに貰うんだ、わかったか」 【水たたき】辰造

女房が稼げば男はだめになるなんて、それは男が稼いで女を養ってやる、っていう思いあがった考えよ、亭主が仕事にあぶれたとき、女房が稼いでどうして悪いの、男だって女だっておんなじ人間じゃないの、この世で男だけがえらいわけじゃないのよ 【さぶ】おのぶ

青みを帯びた皮の、まだ玉虫色に光っている、活きのいいみごとな秋鯵だった。皮をひき三枚におろして、塩で緊めて、そぎ身に作って、鉢に盛った上から針しょうがを散らして、酢をかけた。……見るまに肉がちりちりと縮んでゆくようだ、心ははずむように楽しい、つまには、青じそを刻もうか、それとも蓼酢を作ろうか、歌うような気持でそんなことを考えていると、店のほうから人のはなし声が聞えて来た。 【柳橋物語】

「......おかよ」と彼は空を見あげながら呟いた、「待っているんだぞ、は......八幡宮のお札が無くとも、りっぱに戦った、矢弾丸を避けるのは神護ではない、戦う心だ、死所を誤らぬ覚悟が矢弾丸に勝ったんだ、おまえがそれを教えて呉れた、待っているんだぞ、もうすぐ会える、帰ったら己は、おまえを……おまえを……」【おかよ】弥次郎

――おれは間違って生れた。と甲斐は心のなかで呟いた。けものを狩り、樹を伐り、雪にうもれた山の中で、寝袋にもぐって眠り、一人でこういう食事をする。そして欲しくなれば、ふじこやなをこのような娘たちを掠って、藁堆や馬草の中で思うままに寝る。それがおれの望みだ、四千余石の館も要らない。伊達藩宿老の家格も要らない、自分には弓と手斧と山刀と、寝袋があれば充分だ。 ――それがいちばんおれに似あっている。【樅の木は残った】

野の鳥は違う、野山の鳥に餌を呉れる者はない。かれらは他の強敵とたたかいながら、自分で餌を捜し、自分で拾わなくてはならない。そして餌は常にどこにでもあるのではないし、少ない餌を奪いあう場合が多く、まったく餌のないときでも、助けて呉れる者はいないのだ。【ながい坂】

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