新しいものを表示

「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は善と悪を同時に持っているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」【ながい坂】三浦主水正

「人間は弱いもんだ、気をつけていても、ひょっと隙があれば、自分で呆あきれるようなまちがいをしでかす、……だれかれと限らない、人間にはみんなそういう弱いところがあるんだ、……ここをよく覚えておいて呉れ、いいか、……そんなこともあるまいが、長いあいだには、時三も浮気ぐらいするかもしれない、……そのときは堪忍してやれ、夫婦のあいだのまちがいは、お互いに堪忍しあい、お互いに劬り、助けあってゆかなくちゃならない、それが夫婦というものなんだよ」【寒橋】 伊兵衛

「他人の仕事は容赦なくけなしつける、たぶん本当に絵のよしあしはわかるんだろう、けれども彼がしんじつ絵師であるなら、他人の絵などに関心はもたず、自分の絵を描くことにだけ全身をうちこむ筈だ、人は人、自分は自分なんだ、彼は実際に絵を描くよりも、あたまの中で絵をもてあそんでいるだけじゃないか、そんなことなら誰にだってできることだよ」【虚空遍歴】中藤冲也

「罪は真の能力がないのに権威の座についたことと、知らなければならないことを知らないところにある、かれらは」と去定はそこで口をへの字なりにひきむすんだ、「かれらはもっとも貧困であり、もっとも愚かな者より愚かで無知なのだ、かれらこそ憐むべき人間どもなのだ」【赤ひげ診療譚 むじな長屋】 新出去定

「――おめえはな、さぶ、おれにとっては厄介者どころか、いつも気持を支えてくれる大事な友達なんだ、正直に云うから怒らねえでくれよ、おめえはみんなからぐずと云われ、ぬけてるなどとも云われながら、辛抱づよく、黙って、石についた苔みてえに、しっかりと自分の仕事にとりついてきた、おらあその姿を見るたびに、心の中で自分に云いきかせたもんだ、――これが本当の職人根性ってもんだ、ってな」 【さぶ】栄二

性格と境遇によって、人の進退はそれぞれに違う、世の中には先天的な犯罪者か狂人でない限り、善人と悪人の区別はない、人間は誰でも、善と悪、汚濁と潔癖を同時にもっているものだ、大義名分をふりかざす者より、恥知らずなほど私利私欲にはしる者のほうに、おれは人間のもっとも人間らしさがあるとさえ思う、【ながい坂】三浦主水正

「あたしのことを本当に心配し、あたしのために本気で泣いて呉れたのは、この世の中で直さんたったひとりよ、──眼が見えなくなってから、初めてそれがわかったの、なんにも見えないまっ暗ななかで、じっと坐って考がえているうちに、だんだんそれがはっきりしてきたわ、……眼の見えるうちは気もつかないようなことが、見えなくなってからはよくわかるの、──あのひとを良人に選んだのは眼が見えたからよ、見えない今は声だけでわかるの、……なにもかもよ、直さん」【むかし今も】おまき

「他人の仕事は容赦なくけなしつける、たぶん本当に絵のよしあしはわかるんだろう、けれども彼がしんじつ絵師であるなら、他人の絵などに関心はもたず、自分の絵を描くことにだけ全身をうちこむ筈だ、人は人、自分は自分なんだ、彼は実際に絵を描くよりも、あたまの中で絵をもてあそんでいるだけじゃないか、そんなことなら誰にだってできることだよ」【虚空遍歴】中藤冲也

「わたくしはただひとすじに戦うだけでございます、戦がお味方の勝になればよいので、ひとりでも多く敵を討って取るほかには余念はございません、さむらい大将を討ったからとて功名とも思いませぬし、雑兵だからとて詰らぬとも存じません、名乗って出なかった仔細と申せばこの所存ひとつでございます」【青竹】余吾源七郎

「わたくしいつもあなたが欲しかったんです、あなたのぜんぶを、残らず、いつも自分のものにしておきたかったんです」と律が云った、「それなのにあなたは、いつもわたくしから遠いところにいらっしゃる、寝屋をともにして、からだは手で触れているのに、あなた御自身はそこにいない、からだがそこにあるだけで、あなたはいつもいないんです、わたくしは本当のあなたという方に、いちども触れたことがありませんでした」 【樅の木は残った】律

「二時間でよ、おめえ」と一人が云った、「それも初めてだっていうだに、三度も幟がおっ立ったなんて考げえられっか」「買収しただな」と他の一人が云った、「女に金轡を嚙ましただ」【青べか物語 砂と柘榴】

「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」【赤ひげ診療譚 駆込み訴え】 新出去定

名も求めず、立身栄達も求めず、ただひとりの戦士として黙々としておのれの信ずる道を生きる、多田新蔵はそういうもののふなのだ、わかるか【石ころ】

この世に起こること、人間のすることはすべて善い、愛したり憎んだり、斬ったり斬られたりしながら、それらすべての経験によって、人間ぜんたいが成長してゆくのだ、【天地静大】

「思いはじめたのは十七の夏からだ、それから五年、おれはどんなに苦しい日を送ったか知れない、おまえはおれを好いては呉れない、それがわかるんだ、でも逢いにゆかずにはいられなかった。いつかは好きになって呉れるかも知れない、そう思いながら、恥を忍んでおまえの家へゆききした、だがおまえの気持はおれのほうへは向かなかった、そればかりじゃあない、とうとう……もう来て呉れるなと云われてしまったっけ」煙が巻いて来、彼は、こんこんと激しく咳きこんだ。それから両の拳へ顔を伏せながら、まるで苦しさに耐え兼ねて呻くような声で、続けた、「……そう云われたときの気持がどんなだったか、おせんちゃんおまえにはわかるまい、おれは苦しかった、息もつけないほど苦しかった、おせんちゃん、おれはほんとうに苦しかったぜ」 【柳橋物語】幸太郎

「早まった、お町どの、どうしてこんな」 「いいえ、いいえ、町はもう、欣弥の許へ嫁ぐとき死んでいたのでございます、ただ、今日まで、この仔細をあなたさまにお伝え申したいため、ただそのために屍を保っていたのです。 ……夏雄さま、お父上の敵は申上げたお二人、いま寺内に、家中の者十三名と待伏せている筈です、どうぞ……おぬかりなく」 【秋風不帰】お町

芸というものは、八方円満、平穏無事、なみかぜ立たずという環境で、育つものではない、あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ、【虚空遍歴】

一日が終ろうとする時刻になると、子供たちはみな、その一刻を逃がすまいとして遊びに熱中する。「時は去って帰ることがない」ということを本能的に感じ始めるのだ。【天地静大】

――おれは間違って生れた。と甲斐は心のなかで呟いた。けものを狩り、樹を伐り、雪にうもれた山の中で、寝袋にもぐって眠り、一人でこういう食事をする。そして欲しくなれば、ふじこやなをこのような娘たちを掠って、藁堆や馬草の中で思うままに寝る。それがおれの望みだ、四千余石の館も要らない。伊達藩宿老の家格も要らない、自分には弓と手斧と山刀と、寝袋があれば充分だ。 ――それがいちばんおれに似あっている。【樅の木は残った】

「あたしのことを本当に心配し、あたしのために本気で泣いて呉れたのは、この世の中で直さんたったひとりよ、──眼が見えなくなってから、初めてそれがわかったの、なんにも見えないまっ暗ななかで、じっと坐って考がえているうちに、だんだんそれがはっきりしてきたわ、……眼の見えるうちは気もつかないようなことが、見えなくなってからはよくわかるの、──あのひとを良人に選んだのは眼が見えたからよ、見えない今は声だけでわかるの、……なにもかもよ、直さん」【むかし今も】おまき

古いものを表示
Nightly Fedibird

Fedibirdの最新機能を体験できる https://fedibird.com の姉妹サーバです